風土記の中の市川

風土記とは、奈良時代の初めごろに天皇の命により各国が編纂し、産物・土地の肥沃の状態、各地の起源、伝説などを報告した書物です。現在、播磨国風土記のほか4つの国の風土記の写しが残されており、国宝に指定されています。

播磨国風土記は和同6年(713)に編纂の命令が出され、霊亀元年(715)に完成したとされています。

播磨国風土記の記述に市川町に関係する地名が含まれています。

参照:『播磨国風土記を楽しむ』(いちかわ図書館蔵) 

 

 

波自加村(はじかむら)…推定地は屋形初鹿野 ※『初鹿野』にて詳しく紹介

川邊の里(かわのべのさと)…推定地は西川辺・東川辺 

勢賀川(せかがわ)…推定地は岡部川 ※応神天皇が『勢子』達を使って狩りをしたたことから

□川山(とかわやま)…推定地は浅野の北方の山 ※『天神坂の神様』にて紹介

星肆山(ほしくらやま)…推定地は下瀬加の城山 ※応神天皇が星が出る頃まで狩りを続けたという伝承から

神前山(かむさきやま)…推定地は千束山

 

地名それぞれにその謂れが書かれています。

 

 ぶらり市川散歩道 317ページ「播磨国風土記」編さん1300年 より参考

市川町文化センターすぐ近くにある播磨国風土記の看板。

こちらはスクナヒコとオオナムチが描かれています。