庚申堂

瀬加庚申堂の縁起は瀬加村史によると、正親町天皇の天正(五七三~一五九)の頃、薩摩藩主島津氏の菩提寺の住職、快辮法師が回国の途中、各国を巡り下瀬加佐伯次郎太夫方に仮寓したことから始まります。

佐伯氏は厚く帰依し、草庵を造り居住させましたが、八十一歳の高齢をもって、入寂されました。

その後快辮法師の俗弟子小左衛門の子、仁蔵という人が、ある夜快辮法師が「われは帝釈天の位を得ているから、

れが住んだ跡に堂宇を建ててまつれよ、諸人の念願を成就せん。といわれたので、仁蔵は堂宇を建立し快辮法師を則帝釈天として奉祀しました。

それが今の庚申堂であるといわれています。兵庫県では、百姓や養蚕の神だと考える人もいれば、一方では百病を治す方だとか、病気よけ、災難よけ、火の守り神等言い伝えは様々ですが、ここ下瀬加の庚申さんは特に「イボの神さん」として有名で、

堂のくくりザルを持ちかえり、イボを撫でてお願いすると、綺麗に治るそうです。

治ったらくくりザルを三にしてお返しする習わしがあり、神社には沢山のくくりザルが吊るされています。

 

※仮寓…仮に住む。仮の住まい。一時的に一緒に住む。

※入寂…僧が亡くなること。

※くくりザル…手足をくくられた猿。欲のまま動く猿を人間の欲に見立て、手足を戒めることで人間が欲に走らないようにしている。

(しかしながら、市川町の庚申堂のくくり猿は何故か全然くくられていません…。)

 

【ぶらり市川散歩道 12ページ 庚申堂】


実際の庚申堂。

今もなお沢山のくくりザルが吊るされています。

 

余談ですが、たまに「さるぼぼ」が混じっていたりすることも…。

一番右の写真は、手作りで三倍返しが難しい方のために観光協会で販売しているものです。

町内在住の方の手作りで、奉納のためでなく、お土産としても購入される方もいらっしゃいます。